けテぶれ 宿題革命!の概要〜学び方を学ぶ〜
宿題を革命すべき理由
本論に入る前に、けテぶれによる宿題革命について復習しておきましょう。けテぶれの問題意識は当然「今の宿題って意味ある?」という点です。その問題意識の背景には、自分が着任した小学校で毎日子どもたちに課されている宿題が、子どもたちの学力向上の役に立っているとは到底思えず、その割に宿題忘れや、決められたとおりにノートを書かなかった時など、非常に強い指導がされていた、という状況がありました。そこに大きな違和感を持った僕が、先輩にその意義を尋ねるとだいたい返ってくる答えは2通り。「学力向上」と「学習習慣の定着」でした。ではその2つの目的を達成するために取られている方法が「全員に画一的かつ作業的な課題を毎日漫然と出す」では、目的に達することは無いのではないか。と考えたのです。
一言に「学力向上」といっても、子どもたち一人ひとりの学力はそれぞれに違いますよね。現在位置が違う子どもたちに、同一の課題を課しても、全員の学力が向上するはずが無いでしょう。さらに、その課題の中身を見ると、ただ先生に指定された方法をノートやドリル上に再生することだけが求められている。これはそもそも「学習」でもないですよね。
つまり画一的な課題を現在の学力が多様な子どもたちに課しても効果は薄く、作業的な課題であるがゆえにそれは学習ではなくただの作業となっている。更に悪いことに、このように現状の宿題は教室のどの層の子どもたちにもほとんど意味のないにも関わらず、やらなかったり、自分なりに工夫したりすると、強く指導されるのです。
こんなことを繰り返していれば当然子どもたちは勉強が嫌いになりますよね。無思考にただ繰り返される“画一的”“作業的”課題と、それをめぐる無思考で強い指導は、“子どもたちを勉強嫌いにさせる”という目的であるのならば、その要素をほとんど全て兼ね備えているといっても過言ではないほどの状況なのです。
宿題革命のアイディア「けテぶれ」
ではどうするか。まず、子どもたちの学力がそれぞれ違うのなら、自分の学力向上に必要な内容を自分で選択して、実行することが求められますよね。(子どもたち一人ひとりの学力に合わせて、毎日の家庭学習の内容を教師が一人ひとりオーダーメイドするだけの余裕はもちろんありません)だから「テストで合格点を取るために、自分に必要な内容を必要な量学びなさい」とするのです。
でもそれだけではどうやって学べばいいか分からない。(もう少し言うと、感覚的に学ぶことができる子だけが学びを進められて、そうでない子はその場から一歩も動けない)という状況が生まれてしまいます。だから最低限の“学び方”をクラスで共有するのです。それが「けテぶれ(計画→テスト→分析→練習)」という学びのサイクルです。これを共有することで全員が目標に向かって泳いでいくことができます。さらに、感覚的に学べる子どもたちにとっても、その自分の学びをけテぶれの枠組みで理解することができるので、学び方の質を意識的に改善できるようになったり、困っている子へのアドバイスがしやすくなったりします。学び方に関する「共通言語」が生まれると、子どもたち同士が響き合いやすくなるのです。
こうして、クラスみんなで合格点を目指し、切磋琢磨することでいつの間にか「自分で自分の勉強が進められるようになる」つまり「自立した学習者」に育つ。というのが、けテぶれによる宿題革命の概要です。